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本日午前9時より、ツイッター及びスカイプを、最大一週間遮断することになりました。
これまでツイッターやスカイプで連絡を持っていた方には、誠に申し訳ないのですが、携帯やHPのメールフォーム、この日誌のコメントを介して、連絡をいただけるよう、ご協力をお願いします。
昨日の更新の後、ふとしたきっかけでまたごたごたしてしまいまして。
三日前の失恋のショックからはほぼ脱したと思うのですが、今回はそののちに起こった問題。
当事者の名誉を考え、詳しくは申し上げられませんが、ネット社会での対人関係に不信を抱いてしまったためです。
基本的に、私の対人関係の構築は、他者への信頼で成り立っています。
信頼を寄せる基準もあいまいなもので、「この人は大丈夫」と認めるに値する要素(と私が思えるもの)が感じられれば、とりあえずつながりを構築し、徐々に親交を深めていこうとします。
実社会でも、ネット社会でも、(形態は違えど)同じようにつながりを作ってきました。
その最たる形が、元彼女さんとの交際だったわけですが、なにぶん初めての経験ばかりであったため、付き合いだして一年を過ぎたころには、(今から考えると)少々いびつな関係になっていました。
端的にいえば、お互い相手に依存してしまっていました。
今まで接点のなかった他人同士が一緒になるうえで、お互いに相手への固い信頼は不可欠だと思いますが、我々の関係は少々度が過ぎてしまったのです。
そのいびつさを認識しだしたころに色々あって、もう一度、友達からやり直そう、という話になったわけなのですが、その「色々あった」中に、もう一人別の方が介在しておりまして。
私はその人が誰なのか知らされていないのですが、元彼女さん(いいにくいですねこれ)の話を聞くに、元彼女さんはもちろん、私もそれなりに知っている人なんだそうで。
私はプライベートなことをペラペラと話したがる性格ではないので、日誌やツイッターでは具体的な表現は避けていたのですが、その第三者さんはそういった様子を見ていたフォロワーさんなのだとか。
私も一応男ですから、自分が好いてる異性の関心が、今は誰に向いているのか、というのはそれなりに気になるので、それとなく聞いてみたりするのですが、断片的な情報は漏らしてくれるものの、肝心なところはひた隠しにされてきました。
こういう風に内緒にされると、どうでもいいことであっても余計に知りたくなるじゃないですか。(苦笑
それで、得られる限りの情報をもとに、その人が誰なのか、勝手にいろいろ推測を立てていました。
真相を知ることによる恐怖もそれなりにあったのですが、やっぱり三人の中で自分だけが知らないっていうのが我慢ならなかったのです。
そもそも、何でそんなに秘密なの?と訊いてみると、どうもその第三者さんが口止めをしているようで。
口止めの理由は「知ればきっと気まずくなる 経験者談」「知らないままで済むならその方がいい 経験者談」などなど。
私は「どんなに傷ついてもいい。気まずくなっても構わない。いずれわかることを今知ってもなんら不都合はない」と伝えましたが、そんな主張の一点張りで全く話が進まず。
気まずくなるような原因はそもそも・・・・とこれ以上はとても言えませんが、それは置いておいても「ちょっとあんまりな言い方じゃないか」と反感を持ってしまいました。
その人が私にとっての何であるのか、未だ知る由もありませんが、仮にその人にそのようなことを言わせる過去があったとして、なぜそれによって私の行動が制限を受けなければならないの?
ただ知らないことを知りたい、それに伴う犠牲は覚悟の上、とまで言ってる人間の欲求に対して、あまりにもおこがましい言い分ではないかと思うのです。
それも、ある程度の人数に絞り込めるほどの断片的な情報を出しておいて。
百聞は一見に如かずという言葉のように、経験というのは貴重な財産ですし、それがつらい経験であれば、他人、特に少しでもかかわりのある人には、それを味わわせたくないというのも思いやりだ、とは思います。
でも、それでもかまわない、覚悟の上だとまでいう相手に対しても、経験を振りかざして否定するのは、もはや思いやりでも何でもない、相手の気持ちを踏みにじる行為ではないかと思うのです。
楽しい経験から苦しい経験、つらく悲しい経験のそのすべてを乗り越えて、人は成長していきます。
この覚悟は、そのつらく悲しい経験をも乗り越えて、成長しようとする意志を含んでいます。
そうした覚悟をも否定し踏みにじることは、ひいてはその人の成長の機会を奪うことになるのではないでしょうか。
相手の感情を、意志を、覚悟をも否定し踏みにじるために、あなたはその経験を積んだのですか?
あなたのその経験は、それをしても余りあるほどの価値を、私に与えうるのですか?
これを直接相手にぶつけたかったけど、私と第三者さんの間には、元彼女さんがいて、私の言葉は元彼女さんを通してしか伝えられませんでした。
無理に主張を押し通そうとすれば、私と第三者さんだけでなく、元彼女さんをも傷つける結果になることは自明の理でしたので、昨日はそれ以上は申し上げませんでした。
そして、この不毛な議論を終わらせるために、そのことには今後一切触れないことを元彼女さんに言い渡して、床につきました。
しかし、です。
ぐっとこらえるにはあまりにも疑念が大きくて、吐き出さないとしんどくなってきます。
幸い、今はツイッターという、独り言をつぶやくための便利なシステムがあるので、そっちで文章化することで、なんとか気持ちに整理をつけるのが癖になっているので、誰もいない早朝にこっそりつぶやいたりしてます。
でも。
この苦しくてたまらずに吐き出した言葉も、第三者さんは見ているわけですよね?
ツイッターにおいても、「この人なら大丈夫」という私なりの価値観でつないだものの中に、第三者さんもいて、私の「苦しい」「つらい」というつぶやきを見ている。
そのうえで、「気まずくなるから知らない方がいいby経験者」とのたまう。
元彼女さんも、もちろん第三者さんも知ってるけど、私だけ知らない。
誰?
自分で書いててもつらいつぶやきを見ながら、なおも平然と経験を振りかざし、つらさの上に立てた覚悟を踏みにじる人は誰なの?
私がフォローする中の誰がその人がなの?
平和なこのTLで、楽しげなことをつぶやいている、この人々の中に、その人が紛れているの?
急に、ツイッターのTLが恐ろしくなりました。
信じるに足る、と判断したつながりが、すべて信頼できなくなりました。
それとともに、単なるつぶやきサイトでしかないツイッターに、過度に依存してしまっている自分の姿に気づいたのです。
愚かしいまでに、単なる道具に感情を左右されるほどの信頼を置いてしまっていたのです。
もはや、ツイッターは、単なるつぶやきを発信するための道具ではなく、私の感情を揺さぶる凶器になっていました。
だから、その依存を断つため、暫定的ながら遮断し、今自分が本当になさねばならない、学業に己を専念させることにしました。
一週間たって、依存から抜け出したとしても、気持ちに整理がついたとしても、ツイッターにこれまでのような信頼を置くことは不可能でしょう。
そこで築いた人間関係も同様に。
ほとんどは自分の責任だと思いますし、誰が悪いとはとても言えません。
でも、ここまで自分を追い込んだ誰かさん、あなたは私が、ここまで人を信頼できなくなると見越したうえで、自分の存在を明らかにすることを否定したのですか?
それまで信じていた人々すべてを信じられなくなる、このつらさをも超えるつらさをあなたの正体は私に与えるのですか?
当事者以外で私とつながりのある方々には、ご迷惑をおかけし本当に申し訳ありません。
これまでのつながり方は、ツイッター上ではおそらくできなくなるかもしれません。
人と人とのつながりは貴重なもの。
だからこそ、たまたまめぐり合えたこのつながりは、死ぬまでずっと持っていよう、どんどん広げていこう、と思ってきた。
KETの活動も、そうした思いが形になったもの。
もし仮に、第三者さんが私も知ってる人であっても、その人とのつながりは大事にしたかったし、つながりを続けるためにも、誰なのかを明確にしたかった。
大切なつながりを守るために、自分ひとり傷つく程度なら、いくらでも我慢できる。それだけの価値が、人と人とのつながりにはあるって、信じてた。
でも、そんな気持ちもすべて、踏みにじられてしまった。
二度と繰り返すまい、と誓った、その行為によって。
今は、誰も信じられない。
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大学院も無事修了し、いよいよ社会人になっちゃいます。
HPで自作小説を公開するほか、イベント企画サークルを設立、年1回程度、オフイベントを開催。
詳しくは、HPを見てくださいな。